· 

坐禅の内容

#005 坐禅の内容

 

【老師】

なんか、ありますか?

いつでも、どこでもできるからいいでしょう?これは。

ずーっと24時間自分といっしょにいるんだから、すぐできそうだ。

今やってることで勉強ができる、こんなすばらしい教えってないですよね。

 

【質問者】

先ほど色眼鏡を通さないで考えないことを過ごすのを感じる時間が、坐禅やとおっしゃてると思うんですけども、例えば、坐禅中にいろんな考えが浮かんで来るのを、流して行くような感じだけでは意味がないというようなニュアンスをおっしゃったと思うんですけども、そうしたら、こだわりが無い状況を見るぞっと意欲をもって坐禅をした方がいいんですか?それとも坐ることに意味があるのか?

 

【老師】

だって、自分自身の様子に無関心でいて、どうするんだろう?

日常生活だってそうでしょう。

ものを作る時に自分で作ったにしても、どのようになったか、どのようにやったか、全く無関心で生活している人は、ほとんどいないんじゃないですか?

 

【質問者】

自分自身の内面に関心を向ける時間であると?

 

【老師】

だって他の人の内面に向けて、それ知ったところで、どうするんですか?

 

【質問者】

とにかく内面に目を向けることができるのが坐禅?

 

【老師】

内面というよりも自分自身ですよね。

 

【質問者】

そこから先入観がない状態を見るぞっというのは、逆にそれに囚われているみたいな感じなので、出るがままに、ずっとおるのがいいのか?それとも、そういう考えが無いような感じを目指すのか?そのへん、ちょっとピンとこないですけどね。

 

【老師】

だから、出てきたものに対して、そのままでいるのがいいのか、悪いのかって、そういうふうなものの見方をしてる間は、結局は何もしていないのでしょう、坐ってないでしょう。

ずーっと考え方の中で、取り扱ってるだけの様子だってことが、まざまざと見えるじゃないですか。

立ってごらんと言った時に、立たずに立ったらどうなるんだろうって、言ってるのと全く同じでしょうね。

出てくる思いを、そのまま流していけばいいでしょうか?って、そういうような、みんな考え方の上で処理しているんでしょう?

出てきたものをそのまま流すっていうよりも、出てくるもの、そのまま終わっていくんだものね。

自分でどうもしないうちに終わっていくでしょう、次のことが思えるようになると、前思ってたものにこだわっていられないでしょう?

ここを(左を指さし)見てたものを、こっち(右を指さし)見たときに、前見てたものをこだわっていられないでしょう?

別に流したわけじゃないでしょう?前に見てたものを。

手放して云々て、一切そういうことをせずに、こうやって生活していますよ。

それが実践している様子です。

自分自身の様子みなそうなってる。

それを知らないと、そうやって考え方で、出てきたものを手をつけないように、そのままにほっといて、流れるままにしておくとかいう。

 

(救急車の音がする)

ピーポー、ピーポー、ピーポー、ピーポーって、それだけですよ、それで終わるんですよ、あれ。

(救急車の音がやむ)

ほら?

(一同笑い)

 

終わったでしょう、どうもしない、ピーポーっていっただけで、ピーポって終わっちゃうんだよね。

そのままにしておくとか、流すとかじゃなく、ピーポ、ピーポ、それで終わっちゃうんだよ。

違うでしょう?考えてることと、ぜんぜん違うんです。

うん、似たような話はするんだよ、だから。

似たような話をするんだけど、ほとんど頭で小細工をした話です。

だから、お互いに考え方の世界で生きてる同士だと、そんなことはよくわかるもんだから、納得するんですよね、言ってること。

納得するんだけども、うまくいかないんですね(笑い)。

ああやって実際の生活をしている様子にふれてみると、何もするわけじゃない。

ピー・ポ・ピー・ポっていってるだけじゃないでですか。

だってピッっていったら、それであと無かったら、何もしないでそのまま、一切問題になるものはでてこない。

ねぇ、こんなにうまくなってるじゃない。

いつでも、だから自分の生活しているものにふれてみると、よくわかる、どういうふうに生きているのか。

ものが見えてる、見えてるっていうけど、何が見えてるのかっていったら、今ふれてるものが見えてるだけですからね。

あとは頭の中で、みたものがあるもんだから、あそこに、ああいうものがこうなってるっていうふうに描いて、いかにもそこにあると思ってる。

めったなことがない限りは、行ってみると同じようなものは、そこにあるもんだから、ほらほらちゃんとあるじゃないかっていうんだけど、それは、そこに行った時にやっぱりそのように見えるだけのことです。

うん、それ以外のことは、生活のなかでやってないんだよね。

自分のことだから、見てごらん。

ものはいろいろ見えてるっていうけど、今ふれてる様子だけがあるだけですよ、いつも。

ごたごたすることは、一切ない。

どうしたら、今だけの様子になれるかなんていうことは、はなから論外です。

 

【質問者】

じゃ、ただ坐れと。

 

【老師】

実際、坐るとか坐らない前にそうなっている。

だから、本当に余分なことをやめて、この事実にこうやっていてごらんって、そういう時間です。

実物が証明してくれるっていうことじゃん、内容を。

本当に自分が生きてる生き様そのものが、自分の生き様をどうなってるかはっきりさせてくれる。

 

げんにーび対話集