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自分を救う道

#006 自分を救う道

 

【質問者】

坐禅している時に、あることを思いついて、それでまた別のことを思いついて、それで時間が過ぎて行っていいんですか?

家だと、なんか思いついたり、思いだしたりすると、あっあれをやらなくちゃ、もう坐ってられないわけです。

メモしなきゃとか、思い出したりすると家では、なかなか1時間でも坐っているのが難しいんですけど。

仕事に段取りしたりとか、思いついて、あっ忘れたとか。

で、ここにいると動けないもんですから、なんか思いついて、また内容が変わって別のことを思いついて、それで時間が過ぎたりしているんですけど、そんなのでいいんでしょうか?

 

【老師】

いいとは言えないね、一言で、いいとは言えないね、それは、坐ってるわけじゃないもんね。

形だけこうやってるけど、過ごしてる内容は頭の中で思い出てくるものを相手して、時間を過ごしているだけで遊んでるだけでしょ、思いわいて。

そいうことは、しないってことだから、坐禅は。

 

【質問者】

それで、鐘が鳴るんです。

 

老師】

だから、そういうふうな過ごし方しか、知らないということでしょう。

で、坐禅の時間ていうのは、内から離れて、それで一切いろんな仕事から手を出さずにいれる時間を、わざわざ作ったわけじゃないですか。

もう、本気になって何もかもほっといて、いい時間を作ったんじゃないですか。

それなのに、その中でさえ人間が生きてると、いろんな事が思えるから、どうしてもそれを相手にしなきゃいれないくらい、この思いって言うのは、気をつけてみないと、すぐそっちに行くんですね。

この坐禅の時間の中では、どんな事が出て来ようと、一切問題にしないで、過ごそうっていう時間なんです。

そういうふうに身も心も守られているんです、この行だけすればいいって。

考え方を本当に離れて過ごすっていう時間作ったんです。

そういう中に身を置くんですね。

だから、思い切ってここでは、自分のそういう思いを手放していても、誰からも文句言われないし、不謹慎だとも思われないし、それをやればやるほど、ちゃんと修行してるなって褒められるかもしれない(笑い)、けなされることはない、そういう時間帯なの。

それなのに、そういう中にいながら、普段の生活となんら変わらない過ごし方をするってことは、やっぱりもったいない。

普段の生活の中では、本当にそれがなかなかできないじゃないですか。

電話鳴ったのに、なんで出ないのかって言われて(笑い)、ほら、もうお昼だから食事の時間だ、料理を作らくちゃと言われる、坐ってなんかいられない、ねぇ、そういう主婦って、そいうような状況にあるのでしょう。

ところが、この坐禅の時間は坐らしてくださいって言ったら、だれもそこに入ってきて邪魔をしないようにできている。

そういう大事な時間を作ったわけじゃん。

だから、それを有効に過ごさない手ははないよね。

ここまで来てさ、まだいろんなことを引きずってて過ごすんでは、あまりにももったいない。

でも、坐ってるとね、いい考えが浮かぶんだよねー(笑い)。

気づかなかった事を気づいたりしてね。

今にでもすぐ行って、すぐにでもやりたくなるぐらいのことが出てくるんだよね。

だから、ほっとけなくなるんでしょうね。

ほっといて、時間が過ぎて坐禅が終わった時に、さっき思い起こしたやつは、あれ?なんだったろうって、思わないとでて来ないと、つまらないと思うから、ずーっと忘れないように思いながら時を過ごすから、カーンって鐘がなるわけだ(笑い)。

それは本当に坐禅はしていないよね、悪いけど。

いや、本当にそういう時間なんです。

坐禅をする時間て、そういうふうに設定してあるの。

「諸縁を放捨し、万事を休息して」って、そういうふうになってます。

いろんな事が、みんな生きてるから、あるに違いない。

だけど、そういう中で、このこと本当に大事だから、全部ほっぽいといても、この坐禅をする価値の方が、はるかに内容が尊いってことがあるから、こっちをやるんですね。

これは自分を救う道だからね、根本的に。

思いの中で、あれをしたら、これをしたら、ああもしたら、こうもしたら、それを実行したって、人が本当に救われるかって、そんなことはないです。

どこまで、やったって思いがつきないくらい、いろんな事がでてくるから、これでもう全部やりつくしたなんてことにはならないよ、生きてて。

そういう中で満足感は、絶対得られない。

次から次に、やりたいことが出て来るんだもの、一つやったて思ったって、束の間の喜びですよ、で生涯あくせくして生きていく、それに生きがいを感じている人もいるね、あくせくして生きてて。

ほんのわずかな時間でも、自分の思いから解放されると、豊かな時間ですよねー、ほっとする時間でしょ。

考え方が止まるって、すごいことですね。

 

いや、あなたをいじめるわけじゃなくて、修行してるっていう形の中でも坐禅の時間に、おそらくそう変わらない過ごし方をしてる人たくさんいますよ、本当に坐らないんだよ。

だから帰ってきて聞いてみるとわかる、どうだった?って。

「いやー足が痛かった」とか「時間が長かった」とか、何してるんだと思う、その程度?「今日は気持ちよく坐れた」とか、そんな話しか出てこない。

だから、みなさんだって、時間を割いて、わざわざここまで来て坐るんだから、効果があるようにやるんだったら、本当にここに来たら、そういうことをやるべきじゃない。

見に行きたいところ、わざわざ時間とって見に行っても、うちの…は何やってるんだろうって、そこで過ごすんだったら、それは下手でしょう(笑い)。

海外ぐらいまで行くと、思ってもしょうがないから、だいたい止まるんだろうけども(笑い)。

国内だと、ねぇ、近いところだと、ほとんど家にいるのと変わらないくらい。

ここは別天地ですよ、海外旅行よりも、坐禅の時間は、全く別天地ですよ、その時間帯は。

こんな素晴らしい世界に足を踏み込むなんて普通ではない。

 

どうしても困る人達のために、先輩たちがメモ帳を置いて、どうしても坐ってる時に気になるようなことが出てきたら書き留めて、そしてほって坐りなさいって、そういう風に教えてる人もいたね。

これももまぁ、ひとつのやり方かもしれないけども、集団できちっとした道場で坐る時、そんなことすると叱られるから、それはできませんけど。

こういう個人的な会でやってる場合は、指導者がそれを許せば、それはある程度可能でしょう。

歌を詠む人なんかでも、歌ができちゃうんだよね坐ってって、まずいんだよね、いい歌ができる(笑い)。

これをどっかに投稿しようと思って、忘れちゃうとまずいんだよね(笑い)。

探してたものが、そういえば、あそこにあったかなーなんて、気がつくんですよね(笑い)。

ほんと、困ったもんですね(笑い)。

それを坐禅の功徳と一般的にはいうのでしょう(笑い)、まぁ、そうかもしれないけどね(笑い)。

 

提唱質疑から