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既成の概念

#030 既成の概念

 

【老師】

(コップを手に取り)もともと名前が無かったんだよね。

今だってこれに名前は付いてないよね?これには名前が付いてないよね?

私達はこれを呼ぶ時に、共通の概念で、これを表す言葉としてコップっていうのを使ってるだけであって、他の言葉でもかまわないわけですね、これを表すのにね。

 

【質問者】

その時に同時にコップはこういものという用途みたいな知識も表していますね。

 

【老師】

そういうこともやってますね、だから不自由ですよね。

ブランデー飲むからって、なんかこんなもの(ブランデーグラスのような手の形)持って来るんだよね。これで(コップ)いいじゃないかって言うんだけども。(笑い)

 

【質問者】

話しはズレるかもしれないのですが、特に日本の文化の中で、慮(おもんばか)るとか、何かはっきりと言わないけど、これはこういう意味だみたいな形で、例えば右手を挙げたら、こういう事するみたいな、いろんな見えない事があるじゃないですか?そうすると起きたそのものじゃないところで秩序が成り立っているような事がたくさんあると思います。

それは禅の教えから離れているということでしょうか?

 

【老師】

随分離れているよね。

基本はそういうことじゃないもんね。

世界中(右手を挙げて)こうやったら、こうなるだけだもんね、どこの国の人だって。

文化圏が違うと、こうやった時に何かするって意味付けて教えて、そこからしかこのことを見てないわけでしょう。

もっと根本的なものって言うのは、こうやったら必ずこうだっていうのが一番基礎だ。

それは世界共通です。

誰が教えてわけじゃないけど、必ずそうなっている。

 

そういう上から、今、各国の人が禅を学ぶ勉強しないと、禅を教える時に、ものすごいやっかいなんですね。

いろんな国の人がお坊さんになったりなんかして、学んでるんだけども、一番やっかいなのは、みな既成の概念を持ってるから、厄介なんですね。本当に厄介。

眼(まなこ)は既成の概念を持って見たことがあるか?って、眼はないですよ。

こっち(頭を指しながら)ですよ。

耳も既成の概念を持って聞くことはしませんよ。

聞くと、こっち(頭を指し)が一緒に作動するぐらい、うまくできてるってことですよ。

それで如何にも、それが聞いてる事だとか、見てる事だって思ってる。

 

言葉上うまくできてるのは、”思ってる”って言うんですね。

見てるじゃなくて、見てると思ってる、聞いてるのじゃなく、聞いてると思ってる、必ず”思ってる”事が付いている。

味がしてる、じゃなくて、”そういう味がしてると思う”、ものすごい正直ですよね。

みんな正直に答えてるんだけども、自分で答えてても、本当にそこが見てる事と、見てると思ってる事が違う事やってるってことを知らない。

 

それで、この中(頭を押さえて)で混乱している。

実際には混乱していないですよ、そういことが、この中で(頭を指して)おこなわれているだけであって、一切混乱していないんだけども、能力がちょっと低いもんだから、いろんなものがあると、ゴチャゴチャになってるって言って終わっちゃうんだよね、絶対、ゴチャゴチャにはならないですよ。

 

そのいい例としては、それぞれ片付けの下手な方がおってですね、自分の部屋を持っておって、そこの片付けらしいものをしていない部屋の中に私が入った時に、もうちょっと綺麗にしてやろうかなぁと思って、掃除して綺麗にしてやると帰ってくると怒られる。

どういうふうにして怒られるかっていうと、「ちゃんとしてたのに!」って。

その人の頭のなかでは、そうやってちゃんとしてるんです。

「あれ、どこ行っちゃたんだ?」って必ず言われる掃除してあると、これは危険、だから手を入れない。

本当はもうちょっとスッキリしてた方がいいなぁと思うことはあるだけどね、しょうがないなー。(一同笑い)

 

おもしろいね、そういうの。

ゴチャゴチャになってないんだよね。

私が見た見方の中にゴチャゴチャになってるっていうふうな思いで、こうやって見てるだけであって。

そのとおりなってます、ほんとうに、ようく見ると。

それ以外の在り様がない。

 

気に入るといらんとかは、私のそれに対する見方であって。

野山の様子をみてごらんなさい、デコボコしたり、いろんな木が生えてたり、草が生えてたり、いろいろしている様子を見てて、まさに部屋の中の様子と変わらん。

で、そういうところ行くと「ああ、いいねぇ」って眺めてるんじゃないですか?風景でも。

あれが、真っ平で何も生えてない、そんな風景だったら、がっかりするじゃないですか。

あれが、なんとも言えない、なんとも言えない、枝ぶりにしたって、どうしてこんなになってるんだろうって思うような枝が、こうやってあって、あれを乱雑になってるとか、滅茶苦茶だって誰も言わないよ。

だけど、部屋の様子にふれると、どうしても、木が伸びてああなってるようには、人間てどうも受け取れないよね、こういうの面白いね。

 

【質問者】

そういうのって、人間の思う意図があるからですか?

 

【老師】

そうそう、教えられて、こういうのが能率がいいとか、誰が見てもわかりやすいとか、あるじゃないですか?

そりゃね、大勢で生活していればさ、電話一本で「あそこの部屋の右側に棚があって、何番目のこの辺にこういう書類があるから、持って来てくれ」って言った時に、すごい楽なんだけども本人じゃなければわからない置き方してあるからからさ、説明がつかない。(笑い)

そういうのが共同で生活している中で必要視される。

会社なんかでもそうでしょう?能率がいいってのは、誰が見てもすぐわかる様にしている。

自分だけじゃなくて、誰が見ても通用するような生活を望んでるわけです。

そういうこともあるね。

 

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