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自覚の様子

#037 自覚の様子

 

【質問者】

坐禅をしている時も、普段の生活とかも含めて、音が鳴ったり見えることは全て自分のことで、外で音が鳴ってるのか外で見えるとかではなくて、自分の活動として現れているのですか?

 

【老師】

そうですよね。

 

【質問者】

だから疑うこともないし自覚できる…

 

【老師】

それ、せんぶ自覚の様子だもんね。

 

【質問者】

坐禅していて、いろいろ疑うべきこともないことだから、そのままで居れるというか親しくあれるというか…

 

【老師】

実生活の方は人に何も影響を与えてないよね。

人間はその実生活の方で自分の思ってることと違うような動きがあると、頭を捻るのでしょう、首を傾げるのでしょう。

それくらい自分の考え方の方が中心なんでしょう。

だけど世の真理として、取り上げた時に人間の考え方よりも先に真実があるのでしょう、見る前にものがあるのでしょう(笑い)、聞く前に音があるから聞けるのでしょう、音がしてなかったら聞きたくても聞けないのでしょう、ものが無かったら見たくても見えないのでしょう。

それくらい自分の思いとは違うじゃない?

それを自分の考え方を中心にすると、邪魔だとか面倒くさいとか、いろんなことを、それに対して言い始めるのでしょう。

そういうことが自分を苦しめているだけじゃないですか。

 

【質問者】

本当のことがわかってないから、そういう疑いとかが起こってるくるというか…

 

【老師】

そりゃ、そうでしょう。

 

【質問者】

坐禅中も一緒というか、こう事実に目を向けていないから疑いやら、何してるんだろうとか、そういうことが起きてくるっていう…

 

【老師】

親しく自分の様子に触れてごらんなさい。今やってることしかないから。本当に今やってることしかない。

 

【質問者】

何もしないっていうふうに言うんですけども、こう音がなったりだとか、そういうことを自分の活動としてみたら、あらゆることを…

 

【老師】

一緒になって動くしかないんだもん。別々になれないんだもん。

 

【質問者】

自分が動かずに、何もせずにいて、まわりがこう音が鳴ってるということはない。

 

【老師】

ない、別の時間帯がないからね。

別の時間帯があるなら、向こうで音がして、こっちで音を聞かずに居れますよ。

いま行われてるから、もうみんな一緒になるんだよ、カチッというと否応なしに。

 

【質問者】

そこは分けて考えるから、こう迷いが出たり…

 

【老師】

分けて考える前に自分によく触れてみると、そういうふうな動きをしていないということが証明されるじゃないですか。

 

【質問者】

わかりました。

 

【老師】

それ、救いなんでしょう?ここにこうやって、みなさん居るけど、カチッ(拍子木で机を叩く)てやると、そうなるのでしょう。(笑い)

思い方は様々ですよ、向こうで音がしたとか、それを私が聞いてるとか、いろんな思う事あるかもしれないけど、そんなこととは別でしょう?そういう思うこととは。

カチッ(拍子木で机を叩く)

今というのは、向こうとこっちとか区切った時間なんか、この中にはない。

あっちの人が、こっちの人がって言うような見方は、今の中にはない、徹底してそういうもんでしょう。

ズレないように出来てるんだもん、いいじゃないですか。

それ見届けたらいいじゃん、ズレないようになっていることを。

皆さん方はどっかズレてるような気がするから、調えなきゃ、整理しなきゃとか、あれをどうかしなきゃスッキリしないとか思ってる。

自分の様子をようく見てみると、そんなことする用がないじゃん。

 

いつでもズレずにピタッと、そのとおりの事が、これをこうやったら(拍子木を持って動かす)、これをやったとおりになってるでしょう?

置いたら(拍子木を机に置く)、置いた通りにみななってるじゃないですか。

 

こっち向いたら(左を向く)、必ずこっち向いたとおりになる。

こっち向いたら(右を向く)、必ずこっち向いたとおりになる。

それ以外の事、ひとつもしないじゃないですか。

 

だけど、これじゃ納得しないのか満足しないんだよね、なんだろう?

で逆説の話をするとよくわかるじゃない。

こっち向いたら(左を向く)、こうならなかったらどうなるんだろう?

こっち向いたら(右を向く)、こうならなかったらどうなるんだろう?

ということを逆説としてね、絶対ありえないけども考えてごらんって。

もしこうやった(左を向く)時に、こうならなかったら大変なんだよね。

物なんかわかりませんよ、どうなってるか(笑い)。

必ずこうやったら(左を向く)、こうなるからはっきりしてるんです、いつでも。

 

これが損なわれたことは一度もない。

ていうことは、人は生活をしてて迷ったりすることは一切していないってことじゃないですか。

思ってるだけですよ、なんか迷ってるって、なんか思ってるだけですよ。

実物の方はひとつも迷ったようなことはしていないよ。

 

だって、こうやって(拍子木を持って動かす)見るのに、修正して物を見る人はいないんだもん、いいじゃないですか?

こうやった(拍子木を持って動かす)時に、自分でやり変えて、これを見るなんてことはできないんだもん。

一切できませんよ。

どんなに力がある人だって、こうやった時に(拍子木を持って動かす)自分でやり変えて、それを見るなんてことはないですよ。

そのとおり見えて終わりですよ(笑い)。

何も文句言いませんよ、それじゃつまらないとか。

それくらい最初から救われてるんじゃないですか?

その救われてる自分の様子を自分のあり方なのに、ひとつも見ないんじゃない?

それが大問題なんじゃないですか。

 

師匠は必ず、ご覧なさいっていう(笑い)。

何をご覧なさいっていうんだろう?自分自身の今のあり様に触れてごらんなさい、っていうことでしょう?

どういうふうになってるか、触れたら必ずわかるようになってる。

 

カチッ(拍子木で机を叩く)、どうもしないのに音が聞こえる(笑い)。

なるほど(笑い)、どうもしなくて、いいんだな。

構えてなくたって、向こうがしゃべるのが聞こえるんだもん、いいじゃない?(笑い)

 

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