#039 理解できるかしら?
【老師】
みなさんが普段、考えてる修行方法、あるいは修行と仏道の示しているものは、かなり違うってことを感じませんか?
仏道は人間の考えてる上の話じゃないよね?取り扱ってるものが。
事実がどうなってるかって実物で話をしてる、いつでも。
「この前、あの人にあんなこと言われて頭に来ちゃった」っていう話をしてる時だって、自分自身を見てごらんなさい。
言ってる事と自分自身の様子は全く違う。
ただそういうことを言ってるだけであって、どこにも頭に来てる様子なんかないよ、自分に。
しかも、あの人があの時あんなこと言ったっていうようなことも、どこにもないよ、(笑い)言ってるだけですよ。
そういうことでさえも人は知らないもんね、あると思ってるもんね。
で隣の人に聞いて一緒にいたから、
「この前、あいつはこういうこと言ったろう?」
「ああ、言ったね」
「ほらみろ!わしの言ってること間違いじゃないじゃないか」
って、いかにも今ここにそのことがあるように取りあげるじゃない?それはそういうこと言ってるだけですよ、思って。
そういうの理解できるかしら?それが理解できない人たくさんいるのでしょう?
だから実際にこの自分の機能としての眼とか耳とかいう話を師匠はよく出すんです。
この自分の様子って、眼なんか実物ですから、こうやってみると、ようくわかるじゃないですか。
こっち向いたら(左を向く)こっちが見える。
こっち向いたら(右を向く)向こう(左)は見えないようになるんだもんねぇ。
そうやって生活してるんですよ一日中。
いつでも向かったものだけが見えて、それで生活してるんでしょう?
他のもの一切相手にしてないでしょう?
考え方は違いますよね?さっき見たものを問題にしてるもんね。
なんで今ちゃんと見えてるものを問題にしないんだろう?
だから解決しないじゃないですか。
ご覧なさいということは、今どうなってるかってことに目を向けるということでしょ。